奥播磨
ご紹介

奥播磨のご紹介


伊和神社

伊和神社(いわじんじゃ)宍粟市一宮町須行名に鎮座される神社です。播磨国一宮で、旧社格は国弊中社です。主祭神は大己貴神(おおむなちのかみ)。農・工・商業等産業の神、縁結びの神、病気平癒の神として多くの人々の信仰を集めています。

風鎮祭(油万燈)

8月26日に行われ、風水害を鎮め五穀豊穣を祈念し日暮れに油と灯芯の入った小皿に火が灯され、静かな夜の境内に映し出されたやさしい明かりは幻想的で、過行く夏の終わりを感じさせます。

秋季大

10月15,16日に行われ、五穀豊穣を祝う奥播磨で一番賑わうお祭りです。地元の若者たちが神輿と五台の屋台を練り合わせは圧巻です。

利神城跡と平福

利神城(りかんじょう)。播磨と美作の国境、播磨国佐用郡平福(佐用郡佐用町平福)に存在した日本の山城。国の史跡に指定されています。平福は朝霧が名所で、江戸初期には三層の楼閣があり、あたかも雲を衝くがごとき威容から「雲突城(くもつきじょう)」と呼ばれ、本丸、二の丸、大坂丸などの石垣群が今も昔の姿をしのばせています。また城下町である平福は、宿場町としても栄えて江戸時代、陣屋や鳥取藩本陣が置かれていました。現在も赤茶色の土蔵と川屋敷が建ち並ぶ「川端風景」は風情があり、時代劇のロケ地になったりもしています。

平福川端の風景

現在は、古い町並みや、古民家を生かした喫茶店、蕎麦屋などがあり、観光客を楽しませてくれます。

たたらの里 奥播磨

天児屋鉄山遺跡(宍粟市千種町西河内)

奈良時代初期に編纂された播磨国風土記によると、敷草の村(しきくさのむら)現在の宍粟市千種町。御方の里(みかたのさと)現在の宍粟市一宮町。賛容の郡(さよのこおり)現在の佐用郡佐用町。から鉄を産すると記されていて、賛容の郡鹿庭山(現在の佐用町大撫山)で採れた砂鉄を風土記編纂以前の孝徳天皇に献上したとも記され、昔から良質の砂鉄が採れていました。今も宍粟市や佐用郡では鉄山跡にみられる「かなくそ」と呼ばれる製鉄時に不純物が溶け出して固まったものがたくさん落ちてる場所がたくさんあり、宍粟市内だけでも二七三ケ所確認されています。

金屋子神降臨の地(宍粟市千種町岩野辺)
金屋子神社祭文

宍粟市にはたたらの神様である「金屋子神」降臨伝説が残っています。島根県安来市の金屋子神社(この地域もたたら製鉄の盛んな地域)に伝わる祭文には「村人が雨乞いをしていると、播磨国志相郡岩鍋(宍粟市千種町岩野辺)という所に、金屋子神が舞い降り人々が豊かに暮らせるように岩をもって鍋を作られた、よってこの地域は岩鍋という。だがやがてその地も山がなくなり(たたらで使う材木が無くなり)白鷺に乗ってこの金屋子神社のある出雲地方に来られた」と記されています。よってたたらのルーツは宍粟市千種町岩野辺にあると言われています。

千種鉄で作った日本刀

備前長船と千種鉄

奥播磨で採れる鉄は、中世以降は千草鉄という銘柄で取引され、特に日本刀最大産地の備前長船では刀剣製作にこの千種鉄が無くてはならない存在でした。江戸時代の刀剣鑑定書に「千種鉄で作る刀は刃色白く細かくみゆる、備前の鍛冶多くこの鉄を使う」と記されています。また宍粟郡三方西(波賀町小野)で産する鉄で作ったと銘が刻まれた国宝の太刀も存在します。

神座ナメ摩崖仏(末包摩崖仏)

佐用郡佐用町末包という岡山県境の険しい山の崖に、素朴でかわいらしいお地蔵様の磨崖佛(まがいぶつ)があります。なんでも、源平の戦いに破れた平宗清がこの地に落ちて7体の磨崖仏を彫り始めたが、2体まで彫ったところで夜が明けてきたので、残りは輪郭だけ彫って帰って行ったそうです。実際このお地蔵様の他に、もう一体の仏様が彫られているのが確認できます。 

教蓮寺庫裏玄関の拓本

地元の歴史に詳しい教蓮寺の前住様にお尋ねしたら、今は寂びれたところだけど、昔たたら製鉄が盛んだったこの地は、人や物資の交流も盛んだったようです。この仏様は、道からすぐの高台の崖に彫られていて、行きかう人々を見守り、そして旅人もこの仏様に道中の安全を祈願したのでしょう。 教蓮寺の庫裏の玄関にはこの仏様の拓本の衝立があります。錫丈を両手で抱えておられたかわいい姿のお地蔵様です。

大木谷の棚田と陰陽師

 

佐用郡佐用町大木谷に広がる棚田は、自然の中にたたずむ昔ながらの農村風景で、農林水産省の「日本の棚田百選」に認定されています。四季を通じて美しい風景を楽しむことができます。

倍晴明塚
芦屋道満塚

そしてこの地は平安時代に活躍していた陰陽道の大家「安倍晴明」と「芦屋道満」を祭った塚があります。芦屋道満は、時の権力者であった藤原道長に対しての呪いをかけそれを安倍晴明に見破られ、この佐用の地に流されました。しかし道満はこの地からも呪いを放ち、呪術攻撃を仕掛けます。それを知った晴明は、京からこの地に乗り込んで壮絶な戦いが始まります。晴明は甲大木谷の丘に、対する道満は乙大木谷の丘に陣を張り戦い互いに呪術で戦いますが道満はここで倒れ力尽きたと伝わります。

鑓飛橋

2人の戦いで飛び交った槍が谷に落ち、現在そこには「鑓飛橋(やりとびばし)」という小さな橋が残されています。また、戦いの後に、谷の下の小さな川で道満の首を洗ったと伝えられる場所があり、「おつけ場」と呼ばれているところもあるそうです。