天児屋鉄山遺跡(宍粟市千種町西河内)
奈良時代初期に編纂された播磨国風土記によると、敷草の村(しきくさのむら)現在の宍粟市千種町。御方の里(みかたのさと)現在の宍粟市一宮町。賛容の郡(さよのこおり)現在の佐用郡佐用町。から鉄を産すると記されていて、賛容の郡鹿庭山(現在の佐用町大撫山)で採れた砂鉄を風土記編纂以前の孝徳天皇に献上したとも記され、昔から良質の砂鉄が採れていました。今も宍粟市や佐用郡では鉄山跡にみられる「かなくそ」と呼ばれる製鉄時に不純物が溶け出して固まったものがたくさん落ちてる場所がたくさんあり、宍粟市内だけでも二七三ケ所確認されています。
宍粟市にはたたらの神様である「金屋子神」降臨伝説が残っています。島根県安来市の金屋子神社(この地域もたたら製鉄の盛んな地域)に伝わる祭文には「村人が雨乞いをしていると、播磨国志相郡岩鍋(宍粟市千種町岩野辺)という所に、金屋子神が舞い降り人々が豊かに暮らせるように岩をもって鍋を作られた、よってこの地域は岩鍋という。だがやがてその地も山がなくなり(たたらで使う材木が無くなり)白鷺に乗ってこの金屋子神社のある出雲地方に来られた」と記されています。よってたたらのルーツは宍粟市千種町岩野辺にあると言われています。
備前長船と千種鉄
奥播磨で採れる鉄は、中世以降は千草鉄という銘柄で取引され、特に日本刀最大産地の備前長船では刀剣製作にこの千種鉄が無くてはならない存在でした。江戸時代の刀剣鑑定書に「千種鉄で作る刀は刃色白く細かくみゆる、備前の鍛冶多くこの鉄を使う」と記されています。また宍粟郡三方西(波賀町小野)で産する鉄で作ったと銘が刻まれた国宝の太刀も存在します。